「テレビの王者はどこへ向かうのか――
フジテレビ歴代社長の軌跡と現在の課題」
かつて「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチコピーで一世を風靡し、視聴率三冠王を誇ったフジテレビ。しかし、最近では世間の厳しい視線を集める問題が相次ぎ、その存在感に陰りが見え始めています。
本記事では、栄光と挫折を繰り返してきたフジテレビの歴代社長一覧をまとめました。
フジテレビの歴代社長
▼以下、フジテレビの歴代社長
創始者:水野成夫(1957年-1963年)
2代目:鹿内信隆(1963年-1974年)
3代目:浅野賢澄(1974年-1982年)
4代目:石田達郎(1982年-1985年)
5代目:羽佐間重彰(1985年-1988年)
6代目:日枝久(1988年-2001年)
7代目:村上光一(2001年-2007年)
8代目:豊田皓(2007年-2013年)
9代目:亀山千広(2013年-2017年)
10代目:宮内正喜(2017年-2019年)
11代目:遠藤龍之介(2019年-2021年)
12代目:金光修(2021年-2022年)
13代目:港浩一(2022年-現在)
水野成夫(みずの・しげお)
フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)の創業者であり、初代代表取締役社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
富士テレビジョン社長
:1957年-1958年
フジテレビジョン社長
:1958年-1963年
▼経歴
1899年11月13日に静岡県で生まれ、1972年5月4日に72歳で亡くなりました。
東京帝国大学法学部を卒業後、日本共産党に入党し、一時は中央委員を務めた
転向と翻訳家時代:1928年の3.15事件で検挙され、獄中で転向。出獄後は翻訳家としてフランス文学の訳書で人気を得ました。
実業家への転身:1940年頃から実業界に入り、国策パルプの役員を経て1956年に社長に就任した。
メディア業界での活躍:1956年に文化放送社長、1957年にフジテレビ社長、1958年に産経新聞社長に就任し、「マスコミ三冠王」と呼ばれた
財界での影響力:フジサンケイグループの基礎を築き、池田内閣時代には「財界四天王」の一人として知られました。
水野成夫は、戦前・戦中・戦後を通じて政治、経済、メディアの分野で大きな影響力を持ち、日本の近代史において重要な役割を果たしました。フジテレビの創設者としてだけでなく、フジサンケイグループ全体の基盤を築いた人物として、日本のメディア史に大きな足跡を残しました。
鹿内信隆(しかない・のぶたか)
フジテレビの第2代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
1963年-1974年
▼経歴
1911年(明治44年)11月17日北海道由仁町に生まれ、1990年(平成2年)10月28日に亡くなりました。享年78歳。
早稲田大学政経学部を1936年に卒業。
企業経験時代
倉敷絹織(現クラレ)に入社
その後日本電気冶金三徳工業に転籍
1943年に日本電子工業の創立に関与
1946年、経済同友会の創設に参画し、36歳で設立総会の司会を務めた。
日本経営者団体連盟(日経連)の設立に貢献
メディア業界での活躍
1954年、ニッポン放送専務に就任
1964年、フジテレビ社長に就任
1968年、サンケイ新聞社長に就任
グループ経営
1969年:フジサンケイグループ会議議長に就任
「夕刊フジ」の創刊など、革新的な事業展開を行う
晩年
1989年:サンケイ新聞取締役相談役に就任
鹿内信隆は、フジテレビの社長や会長を歴任し、フジサンケイグループの発展に大きく貢献した人物です。彼の在任中に創刊された『夕刊フジ』(1969年)は、タブロイド版の紙型や週刊誌的な内容を取り入れた革新的な娯楽新聞として、サラリーマン層に人気を博しました。息子の鹿内春雄氏もグループ内で重要な役割を担いましたが、1988年に43歳で急逝。その後、鹿内信隆は一時的にグループ議長に復帰しました。
浅野賢澄(あさの・よしずみ)
フジテレビの第3代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
1974年-1982年
▼経歴
1916年4月19日岐阜生まれ、1997年に亡くなりました。享年81歳。
元郵政官僚で、郵政省事務次官を務めた後、フジテレビに天下り。
フジテレビへの影響:
浅野賢澄の就任は、フジテレビの後発の強みを生かし、番組の全国カラー化を推進する契機となった
社長退任後:
1982年から1985年まで、フジテレビの会長を務めた
浅野賢澄の就任は、フジテレビの経営戦略に大きな影響を与え、特に番組のカラー化や全国展開において重要な役割を果たしたと考えられます。
石田達郎(いしだ・たつろう)
フジテレビの第3代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
1982年5月-1985年6月
▼経歴
1918年7月18日に北海道札幌市で生まれ、1990年7月19日に72歳で亡くなりました。
慶應義塾大学経済学部を卒業後、鐘淵紡績や映画プロデューサーを経て、1954年にニッポン放送に入社
1974年4月~1985年6月
ニッポン放送社長
1982年5月~1985年6月
フジテレビ社長
産経新聞代表取締役
パシフィック音楽出版(現フジパシフィックミュージック)の設立
ポニーキャニオンの設立
ディノスの設立
扶桑社の設立
サンケイリビングの創刊
また、音楽・映像ソフトの発展にも寄与し、以下の役職を務めた
・日本ビデオ協会(現日本映像ソフト協会)理事長・会長を17年間
・東京国際映画祭の初代ゼネラルプロデューサー
石田達郎は、フジサンケイグループ議長の鹿内信隆の側近として知られ、グループ内で重要な役割を果たしました。非常に発想が豊かな人物で、ラジオ業界の将来を見据えて新規事業を次々と立ち上げました。彼の功績により、藍綬褒章(1979年)、日本宣伝賞正力賞(1983年)、勲二等旭日重光章(1988年)、日本映画テレビプロデューサー協会賞特別賞(1990年)を受賞しています。
羽佐間重彰(はざま・しげあき)
フジテレビの第5代社長を務めた日本の実業家。
▼フジテレビ社長としての在任期間
1985年6月-1988年
▼経歴
1928年5月3日に東京都で生まれ、
2023年6月19日に95歳で亡くなりました。
・フジテレビ社長就任前は、ポニーおよびキャニオンレコードの社長を経験
・フジテレビ社長退任後、フジサンケイグループ代表、ニッポン放送社長、産経新聞社長・会長などの要職を歴任した
受賞した栄誉
・1988年:日本宣伝賞正力賞
・1990年:藍綬褒章
・1997年:グアム政府名誉市民
・1999年:イタリア共和国功労勲章グランデ・ウフィチャーレ
・2000年:ペルー功労勲章 大十字位
・2001年:フランス レジオンドヌール勲章
フジテレビだけでなく、ポニー、キャニオンレコード、ニッポン放送、産業経済新聞社の社長も務め、日本のメディア業界で重要な役割を果たしました。
日枝久(ひえだ・ひさし)
フジテレビの第7代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
1988年6月-2001年6月
▼経歴
日枝久の生年月日は1937年12月31日、東京都生まれ。現在87歳。
1961年:早稲田大学教育学部を卒業し、フジテレビジョンに入社
1980年:編成局長に就任(当時42歳)
1983年:取締役編成局長に就任
1986年:常務取締役総合開発室担当就任
1988年:フジテレビジョン代表取締役社長に昇任
2001年:フジテレビジョン会長に就任
主な功績
・編成局長時代に『夕やけニャンニャン』を手がける
・社長時代に『とんねるずのみなさんのおかげです』で高視聴率を記録
現在
・87歳(2025年1月現在)でフジサンケイグループ代表、フジ・メディア・ホールディングス取締役、フジテレビジョン取締役相談役などを務める
影響力
・フジテレビ内部で”天皇”と称される
・政財界、芸能界に幅広い人脈を持つ
日枝氏は、フジテレビの成長と発展に大きく貢献し、放送のデジタル化推進にも早くから取り組みました。また、2003年から2006年まで日本民間放送連盟の会長を務め、地上デジタル放送への移行に向けた基盤を築きました。現在も、フジサンケイグループ代表、フジ・メディア・ホールディングス取締役相談役、フジテレビジョン取締役相談役、産業経済新聞社取締役相談役などの要職を務めています。
村上光一(むらかみ・こういち)
フジテレビの第7代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
2001年6月-2007年6月
▼経歴
村上光一の生年月日は1940年3月2日の台湾生まれ。現在84歳。
終戦後に東京都で育った。東京外国語大学スペイン語学科を卒業後、1962年にフジテレビに入社。
キャリア
・フジテレビでは、編成や制作の分野で活躍
・1988年:編成局長
・1991年:取締役
・1995年:常務取締役
・1999年:専務取締役
・2001年:フジテレビ社長に就任
社長時代
社長在任中(2001年-2007年)は、ライブドア騒動や関西テレビのデータ捏造問題などの課題に直面しながらも、”視聴率3冠”を奪還するなど業績回復を果たした。2007年6月に相談役に退いた
その他の活動
2009年9月からは東京外国語大学の理事も務めた。オペラ愛好家としても知られ、若い頃にヨーロッパへオペラ鑑賞の旅に出たこともある
2004年2月、日本映画衛星放送の初代社長を兼務
村上光一の在任期間中、フジテレビは広告収入面で好調な業績を上げ、特にスポット広告とネットタイムセールスで歴代最高記録を更新しました。彼の経営手腕により、フジテレビの経営基盤が強化されました。
豊田皓(とよだ・こう)
フジテレビの第8代社長を務めた人物で、日本の実業家および元記者。
▼フジテレビ社長としての在任期間
2007年-2013年
▼経歴
1946年4月28日生まれ。現在78歳。
・1971年:フジテレビ入社、記者や営業など様々な部門を経験
・2001年:取締役(営業担当)に就任
・2007年:代表取締役社長に就任
・2012年:日本民間放送連盟副会長
・2013年:代表取締役副会長
・2014年:サンケイリビング新聞社代表取締役社長
・2015年:同社代表取締役会長
・2017年:フジテレビ代表取締役副会長を退任
業績
・社長在任中、フジテレビはゴールデン、プライム、全日の時間帯で視聴率トップを獲得
・2010年上半期には、フジテレビの売上高が1.9%増収、営業利益が205.9%増益を達成
・放送収入の拡大や権利ビジネスの躍進を目指した経営を行った
その他の役職
・日本民間放送連盟副会長
(2012年4月1日~)
・サンケイリビング新聞社代表取締役社長(2014年9月29日~)
・フジ・メディア・ホールディングス・フジテレビ取締役副会長を歴任
豊田皓は、フジテレビの経営陣として重要な役割を果たし、同社の業績向上に貢献しました。彼の在任中、フジテレビは視聴率や財務面で成功を収めました。
亀山千広(かめやま・ちひろ)
フジテレビの第9代社長を務めた人物。
また、日本のテレビ・映画プロデューサー。
▼フジテレビ社長としての在任期間
2013年6月27日-2017年6月28日
▼経歴
1956年6月15日に静岡県三島市で生まれ。現在68歳。
早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
大学在学中に映画監督・五所平之助の書生として映画製作を経験
1980年にフジテレビ入社
プロデューサーとしての実績
・「ロングバケーション」や「踊る大捜査線」シリーズなど、数々のヒット作を手がけた
・特に「踊る大捜査線」の劇場版は興行収入で大きな成功を収めました
社長としての取り組み
・2014年に過去最大級の人事異動を断行し、大規模な番組改編を行いました
・改革に努めましたが、視聴率の低迷を改善することはできませんでした
業績の推移
・亀山氏の社長就任時(2013年)、フジテレビの年間視聴率は7.1%で民放キー局中3位でした
・2016年には視聴率が5.7%まで低下し、順位も4位に落ちた
・在任中、フジテレビの営業利益は5期連続で減少しました
2021年には日本サッカー協会から「感謝表彰」を受けるなど、日本のテレビ・映画業界で重要な役割を果たしました。視聴率低迷と業績悪化の責任を取る形で退任し、その後BSフジの社長に就任した。
宮内正喜(みやうち・まさき)
フジテレビの第10代社長を務めた人物。
日本の実業家。
▼フジテレビ社長としての在任期間
2017年-2019年
▼経歴
1944年1月28日生まれ、山口県出身。
現在80歳。
1967年に慶應義塾大学法学部を卒業後、フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)に入社。
フジテレビでの主な役職
・1999年: 編成制作局長
・2000年: 執行役員、常務取締役、専務取締役
他社での経験
・2007年-2015年: 岡山放送株式会社 代表取締役社長
・2015年-2017年: 株式会社ビーエスフジ(BSフジ)代表取締役社長
フジテレビ社長就任
・2017年-2019年: フジテレビ第10代社長を務める
その後の役職
・フジ・メディア・ホールディングス代表取締役社長(2019年6月就任)
・現在: 上野の森美術館館長、フジ・メディア・ホールディングス顧問
経営方針
・フジテレビを中心とする放送事業の強化
・メディア・コンテンツ事業と都市開発・観光事業を2つの柱とする経営戦略
宮内正喜は、長年フジテレビで経験を積み、系列局やBSフジでの経営経験も持つ人物として、フジテレビの経営再建を任されました。
遠藤龍之介(えんどう・りゅうのすけ)
フジテレビの第11代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
2019年-2021
▼経歴
1956年6月3日に東京都で生まれ。
現在68歳です。
1981年:フジテレビ入社、
ディレクターとして勤務開始
2003年:広報局広報部長就任
2012年:常務取締役に就任
2018年:代表取締役社長に就任
2019年:フジテレビジョン代表取締役社長兼COO
現在:フジテレビ副会長
遠藤氏は社長就任時、「視聴率を上げて、業績を上げること」を抱負として掲げ、社員の意識改革や新しい番組作りに取り組む姿勢を示しました。また、小説家の遠藤周作氏の息子としても知られています。現在は、フジテレビの副会長として、また民放連の会長として、放送業界の課題に取り組んでいます。
金光修(かねみつ・おさむ)
日本の実業家。
フジテレビの第12代社長を務めた人物です。
▼フジテレビ社長としての在任期間
2021年5月24日-2022年6月
▼経歴
1954年10月28日生まれ、東京都出身
1978年に早稲田大学第一文学部を卒業後、西武百貨店に入社
1983年にフジテレビジョンに中途入社。
初期のキャリア
1999年頃:BSフジ編成部長として、データ放送のシステム構築や番組企画に携わる
人気番組「料理の鉄人」の企画に携わる
フジ・メディア・ホールディングス(FMH)でのキャリア
・2009年:フジテレビジョン経営企画局長
・2012年:FMH執行役員
・2013年:FMH常務取締役
・2019年6月:FMH代表取締役社長就任
最近の動向
・2021年:フジテレビ社長も兼任
・2022年6月:フジテレビ社長を港浩一に譲り、FMH社長に専念
業績
・2022年春の改編で長寿番組「バイキングMORE」を終了
・社長在任中に大規模な希望退職を実施し、人員整理を行った
・フジテレビ関連企業での経営手腕を発揮
・2025年1月現在、FMH社長としてグル
ープ全体の経営を担当
港浩一(みなと・こういち)
テレビプロデューサー。
現在フジテレビジョンの代表取締役社長を務める
▼フジテレビ社長としての在任期間
2022年6月28日-現在
▼経歴
1952年5月15日生まれ。
北海道札幌市出身。現在、72歳。
・1976年:早稲田大学卒業後、フジテレビに入社。当初は人事部に配属
・1980年:制作部門に異動し、バラエティ番組のディレクターとして活躍
・「夕やけニャンニャン」や「とんねるずのみなさんのおかげです」などの人気番組を制作
・2013年:フジテレビ常務取締役に就任
・2015年:共同テレビ代表取締役社長に
就任
・2022年:フジテレビジョン代表取締役社長に就任
特徴
・制作現場出身で、現場主義を貫く
・「人を活かす番組づくり」に定評がある
・デジタル時代に対応したコンテンツ作りを推進
現在、中居正広さんの女性トラブル問題の影響で、深刻なスポンサー離れに直面しています。50社以上のスポンサーがCMを差し止めるという危機的状況にあります。1月17日に記者会見を実施しましたが、その会見自体を「失敗」と自認しています。1月10日に社員に一斉メールを送り、「社員を守る」と強調したものの、世間からは厳しい批判を受けてしまいました。今後の展開に注目が集まっています。
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